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最高潮の盛り上がり!「追い山笠」を堪能しよう!!

博多祇園山笠特集

『山笠』の起源

 今年で771年の歴史を誇る博多祇園山笠は、7月1日〜15日に行われる博多の総鎮守・櫛田神社への奉納神事。その起源には諸説あるが、通説では鎌倉時代、博多に蔓延した疫病を鎮めるため、承天寺の聖一国師が人々の担ぐ施餓鬼棚に乗って甘露水(祈祷水)をまいたのが始まりとされている。現在は、博多の自治組織である7つの『流(ながれ)』が、それぞれに造った『舁き山笠(かきやまかさ)』を舁いて回る。期間中福岡の街の各所には、豪華絢爛な14 本の飾り山笠も建てられる。7月15 日の早朝に行われるクライマックス『追い山笠』は必見。

勇壮な7つの『流』

 『流』とは、10数ヵ町を束ねた組織の呼称。今では博多祇園山笠や博多松囃子といったお祭りで耳にするだけだが、かつては江戸時代を通して日常生活に密着した自治組織だった。
 戦国時代の争いにより荒廃した博多の街を太閤・秀吉が命じた復興時、「太閤町割り」で当時から演技がいいとされた7に因み、7町とした際に、『流』も恵比須流、大黒流、土居流、東流、西流、中洲流、千代流の7つと決められたという。舁き山笠では、流ごとにそれぞれ異なる水法被を着用し、誇りをかけて山を舁く。

追い山笠に至るまでの流れ

7月1日/7月9日 お汐井とり

7月1日と9日の夕方、2回行われる。1日の「当番町お汐井とり」は各流れの当番長になった町の面々、9日の「全流お汐井とり」は各流の舁き手が箱崎浜に揃い、沈む夕日に向かって安全を祈願する。その後汐井(真砂)を小さな升やかごに入れて持ち帰り、帰路は筥崎宮、櫛田神社に参拝する。

7月10日 流舁き

満を持して舁き山笠が登場。各流区域内を舁き回ることからこの名がある。舁き出し時刻もコースも年によって異なり公式発表も行わないので、事前に関係者に聞くしかない。

7月12日 追い山ならし

その名の通り、追い山笠のリハーサル。一番山笠から順次「櫛田入り」して廻り止めまでの約4kmのコースを全力で舁く。「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測する。

7月13日 集団山見せ

昭和37年から始まった。58年からは明治通りの呉服町交差点~福岡市役所間が「舞台」だ。福博の名士が台上がりを務め、各流総務ともども舁き手を叱咤激励する。

7月15日 追い山笠

博多祇園山笠の大本命。掉尾を飾る、もっとも重要な神事。一番山笠から順に「櫛田入り」し、その後、旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を、須崎町の廻り止めを目指して懸命に舁く。「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測し各流は結果に一喜一憂する。

博多祇園山笠コース

山笠〝プチ〟用語集

舁く

肩に山笠の棒を乗せて走ることを「舁く」と言う。「舁」は常用漢字に含まれず、普段は「担ぐ」などに置き換えられているため、現代人には聞き慣れない表現となっている。学研漢和大字典によると、「舁」という文字は「二人が両手で物をかつぎあげる」の意味。上、下のつくりとも両手を表現している。

舁き山笠

舁き山笠は、その名の通り「舁く(担ぐ)」ための山笠。現在の舁き山笠は古来の山笠と比較して半分以下の高さとなっているが、それでも総重量は約1トンもあり、20数名の舁き手達によって博多の町を疾走するその様は、まさに豪快雄壮な「男の祭り」そのもの。山笠の土台である「山笠台」は釘を一本も使わず、麻縄と部材のみで組み上げられている。

廻り止め

「決勝点」とも呼ばれることがあるゴール地点。追い山ならしでは奈良屋町・奈良屋ビル前、追い山笠では須崎町の石村萬盛堂本店前となる。到達タイムはそれぞれ廻り止めの場所にて発表される。